2025年の7月がどんどん近づいてきましたよね。
毎日時間を大切に過ごしていますか?
今回はたつき諒さんの予言でほかに気になったことを
調べてみました。
この記事でわかることは、
このような内容でお届けしていきます。
まだまだ気になる話題です!
たつき諒の舞岡・野島公園の予言とは?
場所の特定ははっきりわかっていませんが、
舞岡、野島公園と言われている予言があります。
野島公園は何度か潮干狩りに行ったことがあるのですが、
多くの人が訪れている公園で潮干狩りとしては穴場でした。
そんな公園での予言についてご紹介しましょう。
1989年の夢
たつきさんは1989年8月27日に見た夢についての話です。
その後、その夢の内容が現実に起こった出来事と
合致していたため、夢日記の一部を破ってしまったそうなんです!
夢の中で、たつきさんはトンネルのような暗い空間に立っており、
何かを伝えたいと思っている人物がそばにいました。
この夢の中の場所は後に地元横浜の公園で見つかった
掩体壕(戦時中に作られた施設)と酷似していたというのです。
その後、たつきさんはその公園で女性の遺体が発見された
ニュースを知りました。
遺体は掩体壕の近くに放置され、事件の日付は
たつきさんが初めて公園を訪れた日からほぼ半年後でした。
たつきさんが夢で見た場所が事件の発生場所と一致し、
破り捨てた夢日記のスケッチには掩体壕と暗さが
描かれていたことが分かりました。
このような夢が起こることで、たつきさんは怖さから夢日記を
破ってしまいましたが、後にその夢が現実に繋がる出来事と
なったことが明らかになりました。
夢と現実が酷似していたため、象徴的な要素や暗示が
込められた夢であると言えるようです。
こういう夢からそれが予言になるたつきさんのような方もいますが、海外でも有名な人はいるんです。
地震予言についてはこちらの方も知っておくと良いかと思います!
→ アナンド君(2023・2024)最新予言は?地震の当たる確率やハズレはあるの?
神奈川の歩道橋の話は本当?
たつきさんは横浜在住の方で、夢の中で目を覚ました場所は
埼玉での一人暮らしの古い木造アパートでした。
しかし、お母さんと三女さんの元に行くことから、
舞台はおそらく横浜であると推察されます。
夢の中に登場する歩道橋は、漫画『私が見た未来』の
最後のページにも描かれています。
この歩道橋は複数の脚が分かれており、中央の脚は
道路内の島に入っているように見えます。
大津波によって陸地が海に呑まれる可能性はありますが、
『私が見た未来完全版』には「津波はすぐ引く」と記載されています。
すぐに引くと言っても不安はありますよね。
夢の中で大きな船が3隻繋がっていたことから、
それなりの深さの水域が必要とされることが分かります。
そのため、歩道橋が海沿いにある可能性が
高いと考えられます。
また、大津波のシーンで洋服屋の建物についての注釈があり、
「〇〇駅のヨーカドーかも」と記載されています。
つまり、「横浜市内のどこかの駅近くにあるヨーカドーの近くの
歩道橋」という解釈ができます。
『私が見た未来』の中で、歩道橋については当時存在しなかったが、
「(1996年より少し前に)駅前にできた歩道橋に
似ている」という会話が描かれています。
大津波がこれから2025年7月に起こる可能性もあるので注意したいですよね。
まとめ
たつき諒の舞岡・野島公園の予言とは?神奈川の歩道橋の話は本当なのか?
という内容でお届けしました。
たつき諒さんの予言の日が近づいていくにつれ、
どのように過ごそうか考えます。
家にじっとしている可能性は高いですが。
その日のための準備だけはしておくほうがいいかもしれないですね。
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